セマ・イルディスのご紹介 part.3 by Nourah
私がセマ・イルディスと出会ったのは、2001年のイスタンブールでした。
あれから15年、ベリー・ダンサーとして長くトルコで活動していると、日本人の私でも様々なところで差別や嫌がらせを受けることがあります。意外かもしれませんが、本場であるはずの中東世界でベリー・ダンスはイスラームの教えに反するものとして厳しい扱いを受けています。彼女がダンスに生きてきた半世紀の間にも、幾度となくベリー・ダンス禁止令が出されてきました。そのような状況下でも踊り続け、ベリー・ダンスというアートを世界にまで伝えたセマは、真にベリー・ダンスのレジェンドといえます。
出会ったばかりのころ、ふと私は、「ベリー・ダンスを嫌いになったり、踊りたくない気持ちになったことはない?」と聞いてみたことがあります。
「そんなことは一度もない。」
即答でした。
「なぜならベリー・ダンスは私の人生そのものだから。踊っているときが一番深く呼吸ができるの。私にとってベリー・ダンスは最愛のパートナーであり、自分を理解してくれる一番の親友だから。」
そんなセマの踊りは、魂がこもっていて、まるで彼女の生命が生命そのものを称讃しているかのような、美しく自由な踊りです。
15年間、私のダンスは彼女の力強い言葉に常に支えられてきました。そして彼女の言葉通りベリー・ダンスは私の人生そのものになりました。私たちは踊ることで自らの呼吸のリズムで、ありのままの自分を感じることができます。私もいくつになっても体が動くかぎり彼女のように踊っていたい……憧れのダンサーです。
私の15年がセマの50年の足跡を辿るものであったように、ベリー・ダンスは太古の昔より女性たちによって踊り継がれてきました。そして日本では多くの人々がベリー・ダンスを愛し、女性をエンパワーメントするものとしてベリー・ダンスは価値を見出されています。アートとしてのベリー・ダンスは現地のそれよりも美しく花開いているのかもしれません。この素晴らしい時代をセマと一緒に祝福しましょう!
Ruhani BellyDance Arts 主宰
Nourah
更新日:2016.09.13 Tuesday